呪いで人が変わっていく

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私は一時、日本呪術研究呪鬼会で呪い代行のお手伝いをしていた人間です。 そのため、これまでにもいろいろな方から相談を受けましたし、呪い代行の依頼も数多く受けました。 今回はその中から特に印象的だった方のお話をしていきたいと思います。 さすがに個人のお名前を出すわけにはいきませんので、仮に伊藤さんとしておきましょうか。

伊藤さんは20代の方で就職活動をギリギリまで頑張って、念願だった業界に入ることができたそうです。 新入社員の頃というのは誰でも大変でしょうが、伊藤さんも例に漏れず最初は苦労しました。 ただ、2年目にもなってくると仕事にも慣れてきて、余裕が出てきます。 伊藤さんには憧れの上司がいて、この上司を和田さんとしましょう。 和田さんは伊藤さんが新入社員の頃から面倒を見てくれて、和田さんのおかげで伊藤さんは成長できたといっても過言ではないくらいでした。 仕事のやり方を教えてくれ、間違ったときには叱ってくれ、落ち込んだときには飲みに誘ってくれるまさに理想的な上司でした。

伊藤さんも和田さんも男性で、伊藤さんは憧れの兄貴分のような感覚で和田さんと接していました。 和田さんは誰にでも優しく、本当に誰からも好かれていました。 和田さんのさらに上の人ともうまくやっていましたし、部下をまとめるのもとてもうまかったのです。 女子社員からの人気も高く、バレンタインにはたくさんのチョコを受け取っていたとか。 伊藤さんと和田さんは男の一人暮らし同士で、お互いの家を行き来するようになっていました。 和田さんの家で2人で宅飲みをしていたとき、和田さんが伊藤さんに抱きついてきました。

和田さんが飲み過ぎて倒れそうになったのかと不安になったのですが、和田さんは伊藤さんの顔をじっと見つめていました。 うっとり、ねっとり、じっとり……何とも言えない視線に、伊藤さんは恐怖を感じました。
「俺、お前のこと好きなんだよね」 和田さんからの突然に告白に、伊藤さんは固まりました。
「え、でも和田さん彼女いましたよね？」
「うーん、両刀ってやつかな」
「でも、自分は女の人しか……」
「いいじゃん。案外ハマるかもよ？」 いつもの優しい和田さんはそこにはいませんでした。
「ごめんなさい！今好きな子がいるんです！」 伊藤さんは和田さんを押しのけて、和田さんの家を後にしました。 酔っぱらって夢でも見ているのかなと思いましたが、何もかもが現実でした。

伊藤さんが自宅へ向かう途中で、和田さんから電話がかかってきました。 恐る恐る電話を取ると、いつもの調子の和田さんでした。
「いやぁ、悪かった。この前見たドラマの真似でさ、冗談のつもりだったんだけどお前がここまで驚くとは思わなくてさ。今後おごるから飲み直ししよう」 伊藤さんはいつもの和田さんであることにほっとしました。
「そういうことなら早く言ってくださいよ～。本当にビビりましたって」
「悪い悪い。まぁ、どっちにせよ飲み過ぎてたし、また明日な。気を付けて帰れよ」
「はい、また明日」 伊藤さんは次飲みに行くときにはこれをネタに和田さんをからかってやろうと思っていたのですが、その機会は二度と訪れませんでした。

翌日から伊藤さんを待ち受けていたのは地獄のような日々でした。 出社すると、フロアの全員が一気に伊藤さんに目を向けました。 怒りのにじんでいる目もあれば、何か恐ろしいものでも見つけたかのような目もあります。 不安を感じながら自分の部署へ向かうと、和田さんの周りに人だかりができていました。
「和田さん、大丈夫ですか？」
「お休みしなくていいんですか？」 特に、女子社員が和田さんを心配しているようでした。
「和田さん」 伊藤さんが声をかけると、和田さんの周りにいた女性社員たちがきっと伊藤さんをにらみつけます。 和田さんを見てみると、顔に大きめの絆創膏を貼っています。
「和田さん、それ……」 伊藤さんが言い終わる前に、和田さんは遮るように「気にするなって！」と言いました。
「昨日、自分が帰った後に酔って家の中でぶつけたのかな……」と思いながら、伊藤さんは和田さんの言った「気にするな」の意味がわからないまま自分の席につきました。

ただ、和田さんがいつも通りでも、周りの人がおかしいのです。 伊藤さんに対して何か怒っているかのようにみんなが接してくるのです。 「何かありましたか？」と尋ねても、「別に」としか答えてくれません。 昼休みにトイレの個室に入っていると、他の社員の話声が聞こえてきました。
「伊藤さんが和田さん殴ったって本当かよ」
「俺もビビったわ～」
「和田さんのあれ、痛そうだよな」
「酒に酔った勢いで普段の不満をぶちまけながら殴るとかドラマかよ」
「和田さんにあれだけ世話になっといてな～」 伊藤さんはしばらく動くことができませんでした。

他の社員が聞こえなくなってから、伊藤さんは和田さんを探しました。 和田さんを見つけて話しかけようとすると和田さんは大袈裟に「昨日のことだろ？気にするなって」と笑い、伊藤さんを誰もいない階段のところへ連れていきました。
「俺が和田さん殴ったって話になってるみたいなんですけど、これ何なんですか？」
「あ～、それね。なんかそういう話になってるよね」
「和田さん、違うって説明してくださいよ」
「え～、どうしよっかな～。お前に断られたのショックだったしな～」 和田さんは信じられないくらいいやらしい顔でニタニタしていました。
「まぁ、気が向いたら訂正しとくから」 伊藤さんの肩をポンと叩くと、和田さんはさっさと走り去っていきました。 伊藤さんはここでようやく昨晩の和田さんが本気で迫ってきていたこと、それを断ったことが和田さんの逆鱗に触れてしまったことを理解したのです。

ただ、和田さんのことを信じ切っている他の社員に昨晩のことを説明する勇気はありませんでしたし、すでに和田さんがあれだけの根回しをしていることを考えると伊藤さんは圧倒的に不利でした。 職場は仕事をしに行くところだと割り切っても、和田さんの魔の手は伊藤さんの業務にまで伸びていました。 伊藤さんには関係のないミスをまるで伊藤さんのせいにされて、それを和田さんがフォローしたかのように仕立て上げられ職場では和田さんの株が上がり、伊藤さんへの印象が悪くなる一方でした。

周りの視線は冷たくなっていくばかりでしたし、デスクからなくなってしまっても「不注意かな？」くらいのものが頻繁になくなるようになりました。 和田さんがしていたのか、和田さんの信者がしていたのかはわかりません。 そのうち、伊藤さんは出社するのが怖くなっていき、「死にたい」「消えてしまいたい」という気持ちが出てくるようになりました。 どうにかして和田さんに一矢報いたいものの、社内での和田さんの立場は圧倒的でしたし、社内で伊藤さんの味方になってくれる人はいませんでした。

直接的な仕返しのようなものをしてしまうと伊藤さんの仕業だと思われてしまいますし、何か自然な形で和田さんが不幸になってくれれば……と考えて、最終的にたどり着いたのが日本呪術研究呪鬼会でした。 そこで我々、日本呪術研究呪鬼会呪鬼会にお問い合わせをいただいたのですが、この頃の伊藤さんというのは本当に覇気がなく、今にも消えてしまいそうな印象を受けました。
「本当に効果はあるでしょうか？」
「状況が変わるでしょうか？」ととにかく不安で仕方がないというのがよく伝わってきましたし、だからこそ私どもも全力でお応えせねばと思ったのを覚えています。

正式にご依頼をいただいた時点で、伊藤さんの気持ちも少しは晴れたようでした。 ただ、呪い代行というのはご依頼をいただいて終わりではありません。 正式に依頼をしたからこそ、伊藤さんとしては「まだ効果が出ないのか？」「本当にこのままで大丈夫なのか？」とより一層の不安や疑問が出てくるわけです。 実際に、伊藤さんからもご依頼後には何度もご連絡をいただきました。

正式なご依頼から1か月ほど経った頃でしょうか。 お電話をいただいたときの伊藤さんの声がいつもより明るく感じられました。 話を聞いてみると、社内で伊藤さんの味方になってくれそうな人が出てきたとのことでした。 詳しく話を聞いてみると、伊藤さんの会社にはいわゆる追い出し部屋のようなものがあるそうです。 伊藤さんは他の業務の関係で追い出し部屋にいる社員と話す機会があり、そこで自分と同じような経験をした人を見つけたのです。

要は、和田さんの機嫌を損ねてしまった結果、追い出し部屋行きとなってしまったわけです。 伊藤さんは「自分も近いうちにこの部屋で働くことになるのかな……」と絶望的な気持ちになりましたが、その人から希望が持てる話を聞き出すことができました。 その人を野村さんとしましょうか。 野村さんが言うには、これまでに和田さんの機嫌を損ねて理不尽な扱いを受けた人はたくさんいるのだとか。 野村さんや伊藤さんだけではなく、辞めていった人も含めるとかなりの数になるのだそうです。

追い出し部屋以外での社内の和田さんの人気というのは確かにすごいのですが、社外になってくると話は別で、社外にはかなりの敵を作っているのです。 社外ではその和田さんの性癖的な部分も噂になっており、そういう癖を持っている人が集まるような場所で和田さんの姿を見かけたという話も出ているそうなのです。
「そのうち、誰か爆弾投下するんじゃないかな」 野村さんのその言葉に伊藤さんは期待が持てました。 また話に来てもいいかと尋ねると野村さんは快くOKしてくれたため、伊藤さんも前よりは社内でも頑張れるようになったのでした。

少しずつ伊藤さんを取り巻く環境も変わってきているのかなとこちらも嬉しくなりました。 その後も、電話をかけてくれるたびに伊藤さんの声が元気になっていきました。 野村さんについての電話から2、3週間くらい経った頃でしょうか。 伊藤さんが興奮気味に電話をかけてきてくれました。 何でも和田さんの社内での地位が失墜して、職場を追われる可能性が出てきたとのことでした。

野村さんという味方を得たものの、しばらくは伊藤さんの社内での立場は変わりませんでした。 周りも冷たいままでしたし、和田さんからの地味で巧妙な嫌がらせも続いていました。 ただ、ある日、会社宛に差出人不明の郵便物が届きました。 それを開封してみると、和田さんを隠し撮りしたものが入っていたのです。 伊藤さんは当然男性同士の関係をにおわせるものだろうなと思っていたのですが、男性同士の関係をにおわせるものだけではなく、複数の女性との関係を証明してしまうようなものも含まれていたのです。

つまり、和田さんが実は複数の男女と関係を持っていたということです。 おまけに今の和田さんは偉い人の娘さんとお付き合いをしており、婚約の話も進め始めていた段階だったのです。 伊藤さんは野村さんが言っていた爆弾というのはこのことなのかと納得したのと同時に、どこの誰なのかはわからないものの送り主は和田さんが一番ダメージを受けるタイミングまで待っていたんだなと直感しました。 その後も和田さんの信者の一部は「和田さんはハメられたんだ！」と騒いでいましたが、和田さん自身は白旗を上げてしまい和田さんの周りには誰も残らなくなりました。

和田さんの件で伊藤さんも社内での聴取を受けることになり、これまであったことをすべてぶちまけたそうです。 和田さんは証拠を残さないやり方だったため、伊藤さんの証言のみでしかなかったのですが今や和田さんを信じる人間は社内にませんでした。 そのうち、和田さんの取り巻きだった社員たちが伊藤さんに申し訳なさそうにすり寄ってくるようになったそうです。

ただ、こちらの言い分を一切確認することなく、和田さんだけを最初から信じ込んでいた取り巻きたちを受け入れることができず、伊藤さんは勤めていた会社を辞めてしまいました。 会社にはかなり引き留められたらしいのですが、もっといい条件の会社にすぐに転職することができたそうです。 伊藤さんにとって呪鬼会に呪い代行を依頼したことだけではなく、その後の電話でのやり取りなども心の支えになっていたとお聞きして、本当によかったなと思いました。

電話越しの伊藤さんの声の変化を体感して、呪いというのは呪いをかけられた側だけが変わっていくのではなく、呪い代行の依頼をされた方も変えていくのだなと痛感しました。 伊藤さんは苦しい思いをした分、これからきっとたくさんいいことがあるはずです。 伊藤さんが前向きに人生を楽しめることを願っています。

※この作品はフィクションです。実在の人物･団体･事件とは一切関係がありません。