呪術師の願い

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私は敬宮いよ子。３３歳。 ちょっとした縁で、会社を辞め「色の記録」という喫茶店を開いている。 建物は古く、内装も今どきのイメージとはほど遠く備品も中古ばかりで揃えられている。よくいえばノスタルジック、悪くいえばオンボロ喫茶だ。 地方にある店のせいか、ここに来るお客さんはみな高齢者ばかり。おそらく客の平均年齢は７０歳。数は少ないが、ほとんどが常連さんになっている。店は常に閑散。時が止まったような、お客さんは一日に五人もくればいいほうだ。

その中でも常連中の常連は狩野さん。狩野さんは８０歳をとうに越えたよぼよぼのおじいさんだ。裕福そうには見えないが、毎日やってきては珈琲をすすっていく。手が震えて、珈琲をこぼしてしまうこともある。しかも一日中。しかもタダで。 それもそのはず。この狩野さんこそ、この店のオーナーだからだ。 私は狩野さんに誘われ、ここで雇われマスターをやっているというわけだ。 狩野さんの名前は偽名だ。私も本名はしらない。「仮の」名前ということで「狩野」にしている。私は狩野さんを名前ではなくおじいちゃんと呼んでいる。

それにしても、トイレに行く回数がなんと多いことか。 ここで出すのは珈琲のみ。一杯５００円。一杯おかわりできるから、実質一杯２５０円。そう考えたら高くはないはず。 珈琲だけといっても、私はハンドドリップで淹れる珈琲修行を苦労して積んできた身だから、味にはそこそこ自信がある。 来る客は老人ばかりだが、ときおり若いお客もやってくる。

先日は２０代の地味な女性がやってきた。会計のとき、女性は５００円玉とともに一枚のメモを私に手渡す。 メモの中身を見た。店内にはおじいちゃん一人だけなのを確認して、おじいちゃんに声をかけた。
「おじいちゃん、出番だよ」
「おお…どれどれ。ああ…わしは目がかすんでよう見えん。いよちゃん。代わりに読んでくれんか」
「はい、はい」
私がメモを読み終わると、おじいちゃんは曲がった腰をいつのまにかシャキッとまっすぐにさせて、
「その女性に三日後に来てくれるように連絡しといてくれ」
と私に言うとフラッと店を出て行った。

三日後、メモの女性がやってきて、おじいちゃんと話し込んでいた。 その後、女性は「よろしくお願いします」と深々と頭を下げ、帰って行った。 そしてその一週間後。メモの女性が再びやってきた。 女性はおじいちゃんに報告している。 漏れ聞こえてくる話はこうだ。

メモの女性は職場で女王と呼ばれる先輩女性社員にいじめられていた。 それも理不尽ないじめ。大事なものを隠され、容姿を罵倒され、やってもいない不倫の噂を流され、経費の不正使用をでっちあげられていた。 原因は先輩女王よりも上司の部長に評価されていたこと、ただそれだけ。 周りの女性社員は彼女がいじめに遭っているのは知っていたが、誰も助けようとはしなかった。そんなことをすれば、今度は自分がいじめの標的にされてしまうからだ。 メモの彼女は力づくで反撃しようとも考えたが、相手はヤンキー上がりという話も聞いている。下手にはむかえないのだ。怪我をするのは一方的にこっちになる可能性が高いから。そんなこんなで悶々とした日々を過ごした。 やがてメモの女性は精神的に追い詰められノイローゼになった。そしてとうとう会社を辞める決心をした。

だが、このままでは終わりにしたくない。なんとか辞める前に一矢報いるような復讐をしてやりたい。 そんなときに闇サイトの噂を同僚から耳にした。 ある喫茶店に行って、会計をするときに復讐の願い事をメモに記して渡せば、その願いを叶えてくれると。いわゆる呪い代行である。そんな噂を聞いても半信半疑だった彼女。噂を教えてくれた友だちが冷やかし半分で喫茶店に行き、メモを渡したがなんの連絡もなかった。だから都市伝説的なガセに違いないと思うけれど、と言っていたのだが、こちらはほかに手だてもないからワラにもすがる思いでここに来てみた。すると、私には本当に連絡があった。そこでもう少し詳しい話をしにこの喫茶店を訪れ、その一週間後に、呪い代行の対象となった先輩女性は職場で階段を踏み外して大怪我をした。おかげで願いがかないました。これでもう思い残すことなく会社を辞められます。ありがとうございます。

というような話をしていた。 そう。うちの表看板は喫茶店だが、裏看板は呪い代行日本呪術研究呪鬼会の支部の一つである。 普段は冴えないおじいちゃんだが、狩野さんは日本呪術研究呪鬼会の中でも指折りのベテランだそうだ。 呪術をかける、という仕事がどれほどの重圧であるかわからないが、その世界でこの年齢まで第一線で活躍できるというのは才能もあるだろうがその努力と、何よりも呪術の効果が卓越したものであるからだろう。 冷やかしで来る客は相手にしない。書いたメモを見れば、おじいちゃんはすぐ本心を見抜くから。それで、あの店の裏商売はただの詐欺だと思われていたほうがこちらにも何かと都合がいい。

メモの彼女は深々と頭を下げ、店を出ようとしていた。 そして店の扉が閉まった瞬間だった。
「アッ、これはいかん！」
おじいちゃんが慌てて立ち上がった。その直後、店の外でバン！という激しい音がして悲鳴が聞こえた。 私とおじいちゃんが急いで外に出てみると、あのメモの女性が倒れていた。状況からすると車に追突されたようだ。メモの女性はピクリとも動かない。
「いよちゃん、すぐに救急車を呼んどくれ」
おじいちゃんは私に言った。私は、 「わかった！」と答え電話をかけた。 救急車を待つ間、おじいちゃんは 「動かさんほうがいい」 と言って、メモ女性のそばに寄り添っている。車の運転手は呆然としている。
「彼女、し、死んじゃった？…」
私は心配でおじいちゃんにそう呼びかけたが、
「いや、大丈夫だ。まだ。脳震盪を起こしただけだ。骨折はしとるかもしれんがなあ」
とおじいちゃんは言ったきりだ。 目撃した主婦数人が
「自殺みたいよ」
「車を見ていきなり飛び出したもんね」
「当たり屋の失敗かしら」
「怖いわねえ」と囁きあっていた。
「ねえ、おじいちゃん…自殺だって…」
「いや、あれは…自殺じゃない…何かにやられた」
「なにかって？」
「呪いをかけた相手に呪いがわかってしまったことによる呪詛返しか生き霊かそれとも…いやあ、うかつじゃった…」
おじいちゃんは後悔している。 私は「そんな…」と言う以外の言葉が見つからない。 救急車がサイレンを鳴らして到着した。パトカーもやってくる。 それを見たおじいちゃんは、私に言った。
「いよちゃんは救急車に乗って、病院まで付き添ってくれんか。わしもすぐ行く。後で病院と病室を教えてくれ」
私は「わかった」と答えた。 担架で運ばれるメモ女性をみながらおじいちゃんはつぶやいた。
「今日はこれで店じまいじゃのう…」

数時間後。私とおじいちゃんはメモの女性の病室にいた。 幸い命に別状はなかったが、右手を骨折していた。右手の骨折だけで済んだと言ったほうがいいだろう。処置をして今日は帰れるという診断だった。 彼女が言うには、車が接近してきたときに何かに押されたようだということだった。だから、決して自殺ではない。 おじいちゃんは、ちょっと調べたいことがあるからと、彼女の家まで同行するのを願い出た。彼女は頷いた。 おじいちゃんが同行するのは彼女を護るためでもあるようだ。
「いよちゃん。お前も一緒に、な」
「はい」 こうして私たち三人はメモ女性の家へと向かった。

彼女の家に向かうタクシーに中でおじいちゃんは目を瞑って何かブツブツつぶやいている。寝ているのではない。瞑想、何かと交信しているようにみえる。 彼女の住まいはマンションだった。部屋に入るとワードローブなどを開けて中を見ている。何かの痕跡を見つけようというのか。 おじいちゃんは女性に尋ねる。
「合鍵を使われたということは？」
「それはないです」
「ということは侵入して何かしたということではなさそうじゃ。職場で何か盗られたものは？」
「例の先輩女性から盗られたものはありましたけど、戻ってきています」
「ふうむ。服に何か入れられたものはないかい？」
私とメモ女性は服のポケットを調べたが、何もない。服に縫い付けられたようなものもない。
「どこじゃろう…確かに何かあるはずなんじゃが」
今度はメモ女性がおじいちゃんに尋ねる。
「何を…探してらっしゃるんですか？」
「うん、ちょっとな。あんたを助けるためじゃ」
「私を？」
「そうじゃ。あんたは何者かに狙われておる。今回はこの程度で済んだが、今度はそうはいかん。最悪は命を取られるまで災難が続くようじゃ…」
「えええ！？」
「何か身に覚えはないかのう？」
「…あの先輩女性以外は…」
「彼女ではない。別の誰かと思うのじゃが」
「別の誰か…」 私も聞いた。
「ねえ、思い出してください。命が狙われているんですから！」
「はい…」 それから女性はしばらく考え込んでいた。
「あっ」 彼女が突然叫んだ。
「何か思い出したかね」
「いえ…そうではなくて、郵便物をピックアップするのを忘れていたのを思い出して…」
「なんじゃ、そういうことか」
「なら、私がピックアップしてきますから、みんなここにいてください」

私はそう言うと二人を部屋に残してエレベーターで１階に降りた。 １階の入り口横が集合ポストになっている。 私は彼女の郵便受けの扉を開けた。その途端に、悪寒が走った。 郵便物の中には何も入っていない。だが、確実にこの中に邪悪な何かがある。 扉を開けた郵便受けをじっと凝視する。１分、２分…。 あった！見つけた！
「おじいちゃん、あったよ！」
「あったか！どこに？」
「郵便受けの中に。その天井にピッタリと貼りついていた」
私は発見したものを二人に見せた。
「おお…これは…」とおじいちゃん。
「こんなものが郵便受けに…」とメモ女性。

それは、白い紙を着物を着た人間の形に切り取られたヒトガタだった。呪いのひとつに使われるものだ。 そこには「怨」とメモ女性の名前が書かれていた。彼女はこれによって呪われていたのだ。 呪いの願手は１階エレベーター前までは出入り可能なこのフロアで郵便受けの上部にヒトガタを貼っていた。上に貼ってあるから、通常はわからない。おじいちゃんか私にしか。
「よく見つけたのう、いよちゃん」
「まあね」
メモ女性がちょっとおびえてつぶやく。
「これで、どうなるのでしょう…私」
おじいちゃんは安心しなさいとこう言った。
「これは本人が仕掛けたか、呪い代行が仕掛けたものじゃが、もうこの段階で呪いをかけたのが発覚してしまったから、あなたはもう大丈夫。だが、願主にはまもなく呪詛返しが始まってしまうじゃろうなあ…」
「呪詛返しになると…」と女性は不安げに尋ねる。
「三倍くらいの強さになって、本人に返ってしまうの。呪は連続でその都度呪いの強度が増すから、本人の命は保証できないかも…」
そう私が解説してあげると、女性は、 「そ、それは…」と言葉を失った。おじいちゃんは一言、 「自業自得じゃよ」と言うだけだった。
「それだけはダメ！」と彼女は私たちに懇願した。 呪われたとはいえ、その呪った相手が死んでしまうなんて耐えられないと泣き出した。 おじいちゃんはちょっと困った顔をしていたが、意を決したように、 「仕方がない。特例じゃが命だけは助けてやるかのう」 わたしもその言葉に同調した。

そうとなれば急がないといけない。ぐずぐずしていると、相手にどんな災厄が襲い掛かるかわからない。
「だとすれば、相手を急ぎ特定せにゃならん。うん、今度はいよちゃん、いよちゃんの出番だ」
「わかった」 私はおじいちゃんのように呪いの術を使うことはできないが、別の特殊能力を持っている。 それは、残留思念を辿る能力。このヒトガタに込められた怨念の元を探り当てることができるのだ。遺留物から臭覚で犯人の足跡を追う警察犬のようなもの。 私はヒトガタを額に当てる。すると、相手の怨念がエネルギーとして目に浮かんでくる。そのエネルギーを追っていく。エネルギーが最大量になる場所、そこが目指す相手だ。 相手の場所が現場からあまり離れていると、時間がかかり苦労するのだが、今回はタクシーで一時間ちょっとでたどり着けることができた。

その後、私とおじいちゃんはメモ女性に報告に訪れた。 呪いの元は、彼女の職場の男性だった。彼女はその男性の名前を聞いて、初めて合点がいったようだ。 その男性は前から彼女に好意を寄せていたが、なにかの拍子でその行為を拒絶されたのを逆恨みし、ストーカー男に成り下がってしまった。 彼女はそこまで恨まれているとは思っていない。ちょっとした応対の行き違いで男性に中に怒りの炎を点火させてしまったのだろう。 おじいちゃんがその男性と話し、諭した、というより説教して、たぶん今度やったら命がなくなるとかなんとか言って、術で呪いを消滅させた。 とにかくこれで一件落着だ。

何気ない言葉が相手を狂気にさせることもあるので、ここは注意してもらわないといけない。 長年、呪鬼会には多くの依頼者が人を呪おうとやってくる。しかし、その裏側には幸せになりたいという純粋な気持ちがあってのこと。人を愛する気持ちも一つ間違えば恨みに代わる。 あの男もある意味で自分の気持ちに取り込まれた被害者なんじゃ。 呪術師としては呪術が人々の最大の幸福を叶えるために使用して欲しいと願うばかりじゃよ。 加納さんはいつもの顔でコーヒーをすすりながら微笑みかけた。

※この作品はフィクションです。実在の人物･団体･事件とは一切関係がありません。