善人の皮
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男はとある企業の若手社員だった。 入社時から優秀なことで話題になっており、早い内から将来の幹部候補だと噂されていた。 社内で定期的に開催されている飲み会にも参加していて、
「お前、彼女とかいないのか?」
「いやぁ、欲しい気持ちはありますけど、今は仕事一筋ですよ」
という風にどんな質問でもノリ良く答えるので、上司達にも気に入られていた。 そんな彼だが、ある日、朝目覚めると妙に肩が重かった。
「肩こりだろうか。デスク作業続きだし、不思議でもないな」
これまで肩こりなんてなったことはなかったので、ひとまずは軽いストレッチだけしておき様子をみることにした。
しかし、その重みは日に日に増していき、遂には激しい痛みを引き起こしていた。 「痛たた……」 これは流石にまずい。このままでは仕事に支障が出てしまう。 そう考えた男はマッサージを受けに行くことにした。こんなことは初めてなので、金を出し惜しみせず、評判の良いところで高いコースを選択する。
「肩が特にこっていると思うので、重点的にお願いします」
「分かりましたー」
マッサージ屋の店員は男の全身を順に揉みほぐしていく。実に気持ちいい。 そうして、遂にその手が両肩に触れたのだが。
「……あれ? お客様、肩は特にこっていないようですが」
「えっ……でも、毎日重くて仕方ないんですけど」
「うーん、やっぱり間違いありません。この程度ならあまり揉んだりすると、むしろ悪くなってしまいます」
「そうですか……」
これはどういうことだろうか、と男は困惑するしかなかった。 帰宅してもやはり肩は重いままだ。これでは放っておくわけにもいかない。 仕方がないので、病院を訪れた。徹底的に調べて貰うしかない。 男は医者に症状を伝えて、可能な限りの手立てで検査して貰った。
「レントゲンで肩の状態を調べましたが、特に異常はありませんね」
「そんな……何とかならないですか? 本当に今もとても辛いんです」
「そうですね……幻肢痛という現象はご存じですか?」
「いえ、知りません……」
「これは例えば、何らかの出来事で腕や足を失った人が、後に既に失われたその部分に痛みを感じてしまうという現象です。この現象は脳が錯覚して起きる現象だと考えられています」
「つまり、私のこれも脳が原因、と?」
「その可能性があります。ひとまず鎮痛剤を出しておきますので、後日、症状に変化がないようでしたら、改めて脳の状態も確かめましょう」
「……分かりました」
その日は薬局で受け取った鎮痛剤を飲んで過ごしたが、肩の重さが治まることはなかった。 翌日、身体を引きずるようにして仕事に行ったが、普段に比べるとまったくはかどらなかった。 昼休みになってもデスクに座ったまま表情を苦悶に歪めていると、声を掛けられた。
「あの、大丈夫ですか?」
それは派遣で事務の仕事をしている女だった。これまで話したことはないが、きっと心配して声を掛けてくれたのだろう。
「……ああ、大丈夫です。ちょっと肩に痛みがあるだけなので」
「そうなんですか……何か出来ることはありませんか?」
放っておいても良いはずなのに、わざわざそんな風に言ってくれて、優しい人だと感じる。 昼食を食べに行く気力もなかったので、一つ頼むことにした。
「……それなら、コンビニで食べ物と飲み物を買ってきてもらってもいいですか? おにぎりとお茶でいいので」
「分かりました。すぐに行ってきますね」
女は面倒そうな顔もせず、小走りで外に出て行った。 男が変わらない痛みに呻いていると、女はすぐに戻ってきて、レジ袋の中身を広げた。 そこには頼んだ以上の食べ物や飲み物が入っていた。食べ物はおにぎりだけでなくサラダやエネルギー補充系のゼリーまで、飲み物は暖かい物も冷たい物も用意してくれていた。
「好きなのを選んでください。いらない分は私が持って帰るので、気になさらず」
「……ありがとうございます。それじゃこれとこれを」
男はやっぱり固形物はきつそうだと判断し、ゼリーと暖かいお茶を受け取った。
「他にも私に出来ることがあったら、なんでも言ってくださいね」
そう言って、女は笑顔で自分のデスクに戻っていった。 辛い時に優しくしてもらえるのは随分と心に沁みた。肩の痛みに嘆いている場合じゃない、と男は自らに活を入れて、午後の仕事をやり切った。 翌日は有休を取り、再び病院を訪れることにした。鎮痛剤の効果はなく、肩の重みと痛みは未だ増し続けている為だ。 今度は脳をMRIで撮影してもらった。もし医者が言っていたように幻肢痛のような現象が起きているのであれば、脳に異変が起きているらしい。
しかし、今度も結果は同じだった。
「脳にもこれといって異常がありませんね……痛みを感じている場合に反応する部位があるのですが、そこすらも変わった様子がないのです。つまり、あなたは肉体的には何の問題もないということになります」
「でも、間違いなくあるんです……今ももう座っているのが辛いくらいに肩が重くて……」
「もちろん、疑ってはいませんよ。ただ、長期的な視野で様々な方法を試していくしかありません」
「はい……」
その日の診療はそれまでだった。前回とは違う薬を試すことになり、薬局でそれを受け取った。
だが、次の日、目覚めた男は異変に気付いた。これまでとは比較にならない程の激痛が両肩を襲っている。もはや立ち上がることも困難で、会社は急病として休む他なかった。 救急車を呼ぶしかないかも知れない。そんな風に思いながらも横になって過ごした。身体を起こさなければ少しマシだった。 気づけば眠っており、目を覚ますと夕方になっていた。朝も昼も何も食べていないので空腹だったが、何かを作る気力もなかった。
どうしようかと悩んでいたところで、チャイムが鳴った。無視しても良かったが、壁に手をつきながら何とか扉を開ける。 すると、そこには先日の派遣社員の女が立っていた。その両手にはレジ袋があり、中には色々な食材が見えた。
「えっ、どうして……?」
家の場所を教えた記憶もない男は困惑した。 しかし、女はその疑問に答える。
「今日は急病で休みだと聞いて、先日も体調を悪そうにしていたのを伝えたところ、今日の業務は終わりで良いから少し様子を見に行ってくれないか、と頼まれたんです。それで、もし良かったら、私にご飯を作らせてもらえないかと思いまして」
どうやら上司が配慮してくれたらしい。確かに、自分で食事を用意する気力もなくて、困っていたところだった。
「……それじゃ、お願いします。家にある物は好きに使って構わないので」
「はい。出来たら声を掛けますので、寝ていてください」
男は言われるがままに再びベッドに入った。 しばらくして、女は食事を持ってやって来た。
「雑炊にしましたが、食べれそうですか?」
「ええ、大丈夫です。寝ていたお陰か、今は少しマシになりました」
「それなら良かったです」
男は雑炊を受け取って、食べていく。
「あ、美味しい……」
「本当ですか?」
「今まで食べた中で一番かも知れません」
「嬉しい……」
女はそう言ってはにかんだ。そんな表情に男はドキッとした。 やがて、食事を終えると、女は立ち上がった。
「それでは、今日のところは帰りますね」
「今日のところは?」
「もしまた明日もお休みされるのでしたら、来ようと思いますが、ご迷惑でしょうか?」
「いえ……その時はお願いします」
むしろその方が嬉しい、とは口に出来なかった。 「はいっ」 その後、眠りに落ちるまで男は女のことばかり考えていた。
次の日も同じような状態だったので寝ていると、夕方頃にまた女はやって来た。 そうして、料理を作ってくれる。それもまた実に美味しいものだった。 しかし、流石にそろそろ病院に行かねばならない。入院になるかも知れない。 そんな風に考えていたが、朝起きた男は妙に快適なことに気がつく。
「肩が、何ともない……」
思わず呟く。それくらいに衝撃だった。 前日まで地獄の苦痛をもたらしていた肩に、何の重みも痛みも感じなかったのだ。 男は未だかつてない爽快な気持ちで会社に赴いた。上司や同僚にはすっかり元気になったことを告げた。 当然、派遣社員の女にも伝えると、彼女は自分事のように喜んでくれた。 そんな姿に男は一つの確信を抱く。昼休みに彼女に声を掛けた。
「今夜、一緒に飲みに行きませんか? 看病してくれたお礼がしたいんです」
「別に大したことは……でも、お誘いいただけたなら、喜んで」
そう言って、女は頷いた。 男は内心でガッツポーズを取る。 その日の仕事はとても良くはかどった。仕事終わりに彼女と一緒に飲みに行けると思えば、やる気も次々と湧き出てきた。これなら二日間の遅れ程度ならすぐに取り返せるだろう。
仕事終わり、男は女と連れ立って会社を出た。行きつけの飲み屋へと行く。 そこでは飲み食いしながら楽しいひと時を過ごした。 やがて、宴もたけなわというところで男は事前に決めていたことを言う。
「僕と付き合って貰えませんか」
「はい、こちらこそ喜んで」
男は天に舞い上がるような気持ちだった。 彼女と付き合う為に必要だったと考えれば、あの肩の重みや痛みも良かったのかも知れないと思える。 なぜあんな目に遭ったのか。男はそんなことを考えるのはすっかり忘れていた。
駅前で男と別れた女は一人になると、必死に堪えていた笑みを浮かべた。
「ふふっ、計画通りに行き過ぎて怖いくらい。やっぱり人は弱った時に差し伸べられた手が忘れられないものね」
彼女はスマホを取り出すと、一つの画面を開いた。 そこには『呪い代行日本呪術研究呪鬼会』と記されていた。 彼女は事前にそれを利用していた。こういう呪いをこの期間で日に日に苦しんでいくように、と具体的に書き記した。すると、まさしくその通りに男は弱っていった。そうなれば、近づくのは容易だった。
「私の要望通りな呪いを掛けてくれて良かったわ。これで彼の心は私のものね。出世していくのが今から楽しみよ。早く私に楽させてちょうだいね、あははは」
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。