罪人
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俺には入社以来、仲の良い同期がいた。 過酷な職場だったが、共に励まし合って、艱難辛苦を乗り越えて来た。 成績も同じくらいだったので、昇進も同じペースになるだろう。そう思っていた。 しかし、同期が先に管理職になることが決まった。
「お前もすぐなれるよ。おれ達はこれまで横並びでやってきたしな」 同期はそう言ったし、俺自身も疑いもなく信じていた。 だが、その機会は一向に訪れなかった。
同期は更に昇進すると噂され、それに対して俺にはその声が掛かる気配もなかった。 何かがおかしい。そう思うようになった。 そんな時に俺は見てしまったのだ。同期が上司と楽しそうに話している姿を。 こっそり近づいた俺は、そこで自分の名前が出て来たことに気が付く。 どうして俺の名前が……? 内容までは分からなかったが、確かに聞こえた。 俺は確信する。 あいつが上司に俺の悪口を吹き込んでいるのだ。だから俺は昇進出来ないのだ。そうに違いない。
信頼できる友人だと思っていたのに。ふざけやがって。 激しい憎悪が沸き上がる。これほどまでに誰かを憎いと思ったのは初めてだった。 復讐。脳裏にその二文字が浮かぶ。しかし、どうすれば良いのか。 俺はその日はひとまず激怒の念を堪えた。こちらが悪者になってしまうのでは、意味がない。復讐するなら相手だけが苦しまねばならない。
一人暮らしの自宅に帰ると、まずは何か良い手がないかネットで調べてみることにした。 世の中には復讐を考える者が多くいるようで、色々な方法を見つけることが出来た。 じっくり吟味していると、気になる一文が目に入った。 『呪い代行サイト日本呪術研究呪鬼会なら呪いで、安全に相手を苦しめることが出来ますよ!』 どうやらそれは実際に呪い代行を使った人の感想らしい。URLも一緒に貼られていたので、サイトに飛んでみる。 『呪い代行日本呪術研究呪鬼会』と書かれたページ。シンプルなレイアウトで味気ない。 恨みつらみを書き綴り、どんな呪いを与えて欲しいかを書き込んで送信する。 サイトの機能はそれだけだ。実に胡散臭いと思う。 それでも、もし本当であれば、これ以上のものはないだろう。こちらには何のリスクもなく、憎い相手を追い落とすことが出来るのだから。
俺は今日抱いた烈火のような怒りを文字に込めるようにし、思いつくままに書き込んでいく。そうすると、不思議と怒りが収まっていくような気がした。湧き出る感情を文字にすることで気を落ち着かせることが出来る、という話を聞いた覚えがあったので、それかも知れない。 さて、どんな呪いを望もうか。あいつに遭って欲しい酷い目を考える。 単純に死を望むのは安易だと思った。そういう物理的な苦しみでは俺の気は晴れないだろう。ならば、どういう風に苦しんで欲しいか。 考えた末に、社会的な死を望むことにした。あいつの保有する社会的な立場や地位を全て奪い、苦しみ続ければ良い。
俺は『呪い代行サイト日本呪術研究呪鬼会』に依頼内容を送信する。 『承りました。貴方の恨み、晴らしてみせます』 画面が切り替わり、そう表示される。 別に呪いを期待しているわけではない。もし何も起きなければ、その時は今度こそ自分の手で復讐を成し遂げてみせよう。 そんな思いと共にその日は眠りに就いた。 数日が過ぎた。 その間、あいつと会話するのは苦痛だったが、何とかその気持ちを表に出さないように努めた。 今のところ、変わった様子はない。改めて復讐の計画を立てておいた方が良いかも知れないと考える。
「よお。調子はどうだ」 今日もあいつは何も気づかず朗らかに話しかけてくる。無性に腹が立った。
「……ぼちぼちってところだな」
「そうか。まあ、頑張れよ。必ず報われるさ。もうすぐだよ、きっと」 あいつはそう言うと、俺の肩を叩いて去っていた。
「……ッ」 危なかった。もうすぐで手が出そうだった。歯を食い縛って必死に堪える。 俺が報われることはない。誰でもないお前のせいで俺はこんな目に遭っているというのに。それを分かった上で言っているのか。何て奴だ。許せない。とても許すことが出来ない。 やはり呪いなどに委ねるべきではない。この手でやらなければ。あいつが二度と陽の下を歩けないような、そんな暮らしに堕としてやる。その為なら俺は何だってやってみせよう。 胸の内から迸る怒りに支配されるように、俺は決意を新たにした。
帰宅した俺はどんな目に遭わせるかを必死に考える。 やがて、辿り着いた結論は、業務上横領だ。 会社の金を盗み、あいつにその罪を被せてやろう。必要な情報はいくつかあるが、不可能ではないと思えた。 計画が定まると、思考がどんどん明晰になっていくような感覚に陥った。 自分が目的に向けて走り始めたのを感じる。辿り着いた時、そこから見える景色はどんなものだろうか。
「くっ、くくく、ははははっ!」 邪悪な笑いが自ずと口から漏れ出る。あいつの悲惨な未来を考えるだけで愉悦を感じることが出来た。
翌日、俺は今日の内に行っておくことを脳内でまとめながら出社した。 あいつを追い落とすなら早い方が良いだろう。あいつさえいなくなれば、俺の評判も多少は戻るかも知れないのだから。 そんな風に考えながら社内に入ると、何やら慌ただしかった。流石に一度考えを打ち切り、異変の原因を探る。
「何かあったのか?」
「ん、ああ、お前か。さっき痴漢で捕まったらしい」 そうして同僚が告げたのは、俺の同期であり上司でもある、あいつの名前だった。 突然のことに思考がまとまらない。頭の中が真っ白になる。
あいつが捕まった……?痴漢で……?
「そ、それじゃ、どうなるんだ?」
「上層部が話しているのを少し聞いただけだが、クビだとよ。ま、当たり前だな。せっかく積み上げてきたキャリアを棒に振って、勿体ねぇ話だよ。痴漢なんてする奴には思えなかったんだが、冤罪の可能性もないらしいし、裏の顔ってやつがあるんだろうな」
「…………」 俺は思わず黙り込んだ。
なぜそうなったかの想像はつく。『呪い代行サイト 日本呪術研究呪鬼会』だ。きっと俺が願った社会的死は、痴漢という形で叶えられたのだろう。どんな手を使ったのかは知らないが、あいつが自ら痴漢を行うように仕向けたに違いない。 しかし、何だか振り上げた拳の行き先がないような気分だった。俺が立てた計画は全て水泡と帰したのだから。
その日は何とも言えない気分のまま仕事を終えた。あいつの机は今日の内に片付けられていた。まるで初めからいなかったように。 退社しようとしたところで上司に呼び止められる。以前、あいつが会話時に俺の名前を出していた上司だ。良い気分はしないが、無視するわけにもいかない。
「ちょっとだけ時間いいか?」
「あ、はい。もちろんです」 俺は会議室へと連れていかれた。どうやら他の社員には聞かれたくない話らしい。
「知っての通り、管理職が突然一人いなくなってしまったのは社としては大きな痛手だ」
「……そうですね」 俺は微妙な表情で頷いた。 それを見て上司は何かを勘違いしたのか、あいつの話をする。
「お前が親しかったのは知っているが、奴は許されないことをした。うちは必要な処置をしたまでだ」 名前も出さず『奴』という呼び方に上司の怒りを感じた。
「分かっています。別に気にしていません」
「それなら良いが」 上司は改めて本題を切り出す。
「穴はお前に埋めて貰いたいと思っている」
「それってつまり……」
「昇進だ。本来はこの時期にはないが、今回は特例となる。断りはしないな?」
「あ、ありがとうございますっ!ぜひ引き受けさせてください!」 俺は咄嗟に頭を下げた。
これまで待ち望んでいた地位がこんな形で与えられるとは思っていないかった。
「よし。上に伝えておこう。明日の朝には通達が来るはずだ。よろしく頼むぞ」
「はいっ!」 そこで話は終わりと思ったが、上司は再び口を開く。少し躊躇うような様子で。
「……実はな、どちらにせよお前は来期には昇進の予定だったんだ」
「えっ……?」
「それも奴の強い主張でな。お前は一部の上司のせいで不当に悪い評価を受けていると前から言っていたんだ。実際、調べてみると確かにその通りだった。それもくだらない勘違いが原因でな。それに関してはこちらとしても悪かったと思っている。可能な限りのサポートはするから許して欲しい」
「…………」
俺は上司が何を言っているのか良く分からなかった。 あいつが俺の為に動いていた……?昇進できない原因はあいつじゃなかった……?
「まあ、そういうわけだ。奴がそんな風に頑張っていたことは知っておいてやれ。それじゃあな」 上司は先に会議室を出て行った。
しかし、俺はその場からしばらく動くことが出来なかった。思わぬ真実にすっかり打ちのめされてしまっていた。 気づけば俺は自宅にいた。いつ帰宅したか、良く覚えていない。 スーツから着替える気力もないまま、ベッドに倒れ込んでいる。 俺はあいつが悪いと思った。だから、復讐を願い、『呪い代行サイト 日本呪術研究呪鬼会』に呪いを申し込んだ。結果として、あいつは破滅した。 けれど、その復讐の動機が全て虚構だったとすれば?あいつが本当は何も悪くなかったのだとすれば?
俺の行いは罪深い。あまりに罪深い。これ以上の非道はそうそうないだろう。何てことをしてしまったのだろうか。 もう元には戻らない。あいつは社会における二度と消えない十字架を背負ってしまった。 俺が、背負わせた。 これからどうすれば良いのだろう。分からない。 頭の中で思考が延々とループする。罪の意識は増す一方だ。
やがて、俺はまるで救いを求めるようにPCを開いた。 『呪い代行サイト日本呪術研究呪鬼会』のページに繋ぐ。 そうして、必死に書き込んだ。 俺の醜く愚かな所業を。如何に許されない人間であるかを。そんな俺に相応しい死の呪いを望むことを。 書いた文字列を送信した。 『承りました。貴方の恨み、晴らしてみせます』 表示されたページに向かい、俺は強く願う。 ああ、どうか頼む。俺を罰してくれ。 本当の罪人はあいつではない。俺なのだから。
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。