娘への愛情は憎悪へ
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こんな話を誰かにするのは気が引けるのですが、私だけの胸に納めておくことに、もはや耐えきれませんので聞いてください。私の夫は定年退職を間近に控えて癌が発覚し、悲しいことに半年の余命を待たずしてこの世を去りました。退職金で新しく家をリフォームし、三カ月に一度は旅行に行こうと夢を語っていた日々の最中だったこともあり、私の虚無感は計り知れないものでした。そんな中、唯一の心の支えとなったのが大学生の娘でした。結婚が遅かったので、子どもが生まれるにも時間がかかり、女の子しか生まれなかったことに義母からは少しの嫌味を聞かされた時期もありましたが、反抗期を乗り越えた娘は私が想像していたよりも遙かにしっかりとした大人に成長してくれました。
夫が亡くなって三カ月が経った頃、大学時代の女友達が声を掛けてくれたので、三人で集ることになりました。同じサークルの同期でも、夫の転勤などで地元を離れた子や海外に移住した仲間もいて、すぐに集まれるのは私達3人が常でした。いつもはAの家に集まるのですが、マンションの外壁が改装中という理由から、珍しくBの家でお茶をすることになりました。その時のお話です。
「旦那さん、大変だったわね。私達で力になれることがあったら、言ってちょうだいね。」 Aが、Bの入れてくれた紅茶に角砂糖を二つ入れ、ティースプーンを回しながら言った。私がこの数カ月でげっそりと痩せてしまっていたことは、想像以上に二人を驚かせたようでした。
「ありがとう。でも、娘もあまりへこまずに大学へ通ってくれているから、なんとか私も頑張れそう。有難いことに保険金で学費の心配もそこまでしなくて済みそうなの。」
「それなら良かった。長く生きていると、本当に色々あるわよね。」 Aはテーブルの上でそっと私に手を重ねながら言った。お互いの年齢は、手に深く刻まれているのをまざまざと感じる。
そこへ、クッキーをトレイに載せたBが微笑みながら現れた。綺麗なワンピース、皺の少ない色白の肌、都心にある大きな戸建て。Bは学生時代から私達の中でもひときわ美意識が高く、そして憧れの存在でもあった。それは年齢を経ても変わることはなく、決して他人を蔑むこともないのがまた彼女の魅力でもあった。
「Aは娘さんの調子どう?お仕事続きそうなのかな。」 Bは、椅子に腰かけ、私達にそっとクッキーを勧める仕草をする。私もAも引き寄せられるようにすっと手を伸ばした。
「おかげさまで。あの子も中学校の時は不登校になって、高校の時はヤンキーのお友達が増えて荒れちゃって、一時期はどうなるかと思ったけれど、アパレル会社に就職して、店長さんに見染められて。最近はデザイナーに興味はあるみたいで、働きながら専門学校に行き始めたの。」
「えっ!」 Bが珍しく驚きの声を出した。内心私は驚き、クッキーに手を伸ばしながら、横目でちらりとBを盗み見ました。いつも親身に、そして穏やかに私達の悩みを聞いてくれるBは、どんな時も感情を出さないことでも、私達に安心感を与えてくれました。そう、それは私の夫が癌だと伝えた時も。それなのに、今の驚いた声は私を少なからず動揺させました。ただ、次の瞬間には元の柔和な表情で手を叩いたのです。
「良かったじゃない!そうよ、Aが優しく支えたから、彼女も応えてくれたのね。」 Bの大袈裟ともいえる讃辞に、Aは少し照れていたが、まんざらでもなさそうだ。
「でも、ここまで本当に長かったわよ。警察になんて何度呼び出されたか。いっそこの子の首を絞めて、私も死のうと思った時だってあった。でも、旦那も一緒に悩んでくれて。これからまだ何かあるかもしれないけれど耐えられそう。Aが本当羨ましいな。息子くんは有名私大を出て弁護士、娘さんは一流会社を退職して海外で活躍中、旦那さんは単身赴任で自由な生活。」
サークルの先輩と学生時代から付き合って結婚したBは、もちろん結婚も一番乗りでした。優秀な子ども達に囲まれて、神様に不公平だと文句を言いたくなったことも実はあります。それでも一緒に仲良くできたのは、彼女の性格の良さとある意味で割りきった自分の潔さだったと自負しています。 その時、廊下から小さくパタン、とドアの閉まる音がしました。
「あ、猫がトイレに行ったみたい。私にとっては、今の生活に寂しさはないけれど完全なものだとは思っていないの。今、ちょっと考え中よ。」 そう言って笑うBに対して、私達はそれ以上のことを聞こうとはしませんでした。考えてみれば、私達はいつもBに対して相談するばかりで、あまり話を聞いてあげられたことがありません。だからこそ、今更彼女に話を促すと言うこともしませんでした。
その後は、Bが頼んでくれた近くのイタリアンからのランチを配達してもらい、いつもしているような学生時代の話題を繰り返し、気づいた時には夕方になっていました。
「あら、そろそろこんな時間。ご飯を作らなきゃ。長居しちゃってごめんなさい。」 私は立ち上がり、鞄を手に取った。続いて、Aも立ち上がる。Bは相変わらず笑顔を浮かべたまま、「あら、まだいいのに。」とお決まりのセリフを告げた。 長い廊下を抜け、玄関のホールでまた挨拶をすると私とAは玄関を後にした。門の前で、Aと手を振り合う。
「じゃ、また半年後くらいかな。連絡するね。本当、このお家素敵で楽しかったね。私の外壁だけ塗り替えたマンションにまた来てもらうのが恥ずかしくなっちゃうくらい。それじゃね。」 あはは、と笑いながらAが去っていく。と、私は口元を拭くのに使っていたハンカチをテーブルの上に忘れてきたことに気づいた。仕方がないので、再び玄関に戻り、チャイムを押そうとする。
しかし、ふと手にかけるとドアに鍵はかかっていないようだった。そっと開けて、Bを呼ぼうと顔を入れた時だった。中から、女の金切り声が聞こえてきて、思わず言葉が詰まる。
「お前が、あいつらをいつまでも居座らせるから、便所に行けなかっただろうが!お前のせいで、部屋から出なくて、漏らしただろうが!お前が掃除しろや!洗濯しろや。」 驚きの内容の罵詈雑言に、しかし誰の言葉だろうと私は思わずその場を離れられませんでした。その時、廊下に若い女性が飛び出してきたのです。
そして、玄関に顔を入れている私に気づき、はっと立ち止まります。スウェットのような上下を着て、髪の毛は腰まで伸びきっている女性は、体型もぽっちゃりとしています。遠くから顔ははっきりと見えませんでしたが、リビングに飾られた家族写真にいた女の子によく似ていました。私は何も言えず、かといって知らんぷりもできないので軽く一度だけ頭を下げるとすっと玄関から姿を消しました。ハンカチのことは、もう忘れようと思ったんです。
それから、二か月が過ぎた頃でした。初めこそ、私が見た物をAに相談しようか迷っていましたが、結局よその家など見えない部分で色んなことが起こっているのだと自分に言い聞かせ、あの光景は忘れることにしました。ただ、今まであんなに素敵な家にどうしてBが私達を招こうとしなかったのかが、分かった気がしました。今回は偶然と、挑戦が重なっていたのでしょう。そんな時に、私の元へBから電話がかかってきたのです。
「話したいことがあるの。家に来てもらっても大丈夫かな?。」 その答えに、NOはありませんでした。ただ、私が訪ねることで、また娘さんを不快な想いにさせてしまうのではないかということだけが心配だったのです。ところが、玄関へ前回と同じように入った私は、ある独特の香りに顔をしかめました。
「B?何かお香でも焚いているのかしら。」 黒のワンピースを着ている姿が、私の心に不安を煽った。彼女に続いてリビングに入った私は、そこに飾られた祭壇に目を見張りました。大きな写真に飾られているのは、やはり先日目にした女性のようです。だが、その姿はとても綺麗で聡明に見えました。
「娘がね、亡くなったの。」 息をのむ、とはまさしくこういう時のことでしょう。まだ三十くらいのはずです。どうして急に。あれは、病気の姿だったのでしょうか。
「あなた、あの日家に戻って来たでしょう。あの子が驚いて玄関を見て、動揺して奇声を発して大変だったの。テーブルの上にはハンカチがあって、私は想像がついたの。」
「ごめんなさい!でも、見られたくなかっただろうって。だから私忘れることにしたの。」
「見られたくなかった?私が、惨めになると思ったの?」
「あ、そういうつもりじゃ……。」 彼女はなぜ私をここに呼んだのだろう。意図が掴めず、心臓がきゅっと縮こまる。
「口の堅いあなたなら、私の秘密を共有させてあげようと思って呼んだの。それに、あの光景を見られたのであれば、もう隠す必要もないから。」
そう言って、Bは衝撃の事実を話し始めたのです。 Bの娘、希美が引きこもりになってしまったのは、五年前のことだったそうです。大企業に入社したものの過剰な残業と上司からの圧力、そのくせ社会人として認められているような言葉をもらえずに、見る間に痩せていったそうです。
「私は、何も言わなかったわ。だって、辞めなさいっていってもあの子はきっと自分の思ったことを押しとおすから。そういう子なの。」
「ご主人はなんて?」
「あの子は、小さい頃から夫に取り入るのが上手だったわ。愛想を振りまいて、膝の上に座るだけ。そのくせ私と眞一が二人でテレビを見ていると、気持ち悪いって良く睨んできたの。私からしたら、あの子の男に媚びる姿の方が気味が悪かったわ。」
私は初め、聞いていて目が点になりました。だって、娘が父親に甘えるのは普通のことではないでしょうか。それを、旦那さんをとられたとでも思ったのでしょうか。
「あの肌に、長い手足。あの子が見せびらかすように家の中を歩くのが、私は嫌いだったの。私があの子より低い偏差値の大学出身ということも馬鹿にしていたわ。でも、あの子が有名大に入れたのは当然よ。私が、英才教育を小さい頃からしていたんだもの。」
「ちょっと待って。希美ちゃんは、どうして亡くなったの?」 彼女の口から出てくるのは、娘への愛情でも失ったことへの悲しみでもありません。憎しみしかないのです。私が聞いたことは確信だったのかもしれませんが、あの姿、そして彼女が普通に家にいることを考えても、事件ではないと思えたからです。少し驚いた顔をした彼女は、しかしゆっくりと答えました。
「自殺、よ。」 分かっているでしょ、とでもいうようだった。確かに、精神的に病んでいたのは明らかだった。
「会社を辞めてから、ずっと部屋に引きこもっていたの。海外に行っているなんて嘘。でも、あの子のプライドの高さでもあったのよ。私とは全然似ていない娘だったわ。」
「自殺……。」 それ以上、聞きたくなかった。泣き崩れるならまだしも、こんな秘密を共有して意味があるとは思えない。
「ってことになっているけど、本当は罰があたったのよね。」
「え……?。」
「だってそうでしょう。あの子は悪魔のような子だった。最後まで私を苦しめたわ、そしてきっと。これからもね。だから、あのサイトで私があの子を助けてあげたの。」
「サイト……?。」
「日本呪術研究呪鬼会っていうの。知らないわよね。」
「B、一体なにを言っているの?」
「ほら、これを見て。検索すれば普通に出てくるサイトよ。必要事項を教えて、支払いを済ませれば、憎らしい相手に呪いをかけてくれるの。まさか、それでもここまでとは私も予想していなかったんだけどね。」
「まさか、そんな呪いでって、自分の娘なのよ?。」
「あら、知らなかった?私、自分より綺麗な人間は嫌いなの。でも、もっと嫌いなのはプライドさえ失った醜い人間よ。」
開いた口が塞がりませんでした。彼女はいつから、こんなに鬼のような人間になっていたのでしょう。
「日本呪術研究呪鬼会にお金を振り込んでから、しばらく何もなくて詐欺かと思ったわ。でも、次第に水にぬれた女がいる、とか小さな子供が笑う、とか言い始めたの。そして、最後はあの子、うちの包丁を使って部屋で首を切ったのよ。自分で。ただあんなに何もしないで居座っていた女が。」
がたん、と私は音を立てて椅子から立ち上がりました。嫌悪感でその場にいることができなかったのです。早く帰って、私は自分の自慢の娘を抱きしめたい衝動にかられていました。リビングを出ようとしたら、Bも立ち上がったようです。
「またしばらくしたら、Aとお茶会しましょう。あ、希美のことは誰にも言っちゃだめよ。そうしないと。」 あんたも呪ってやるからね……そんな言葉が追いかけて来たようでした。
振り返ることなく大通りに出て、バスに飛び乗って、私はまだ震えている両手を握り合わせました。娘が母との関係に悩むことはよく聞きますが、あそこまで娘を憎む母親がいるのでしょうか。そして、怖いもの見たさで開いたネットでは、いくら検索をしても日本呪術研究呪鬼会のHPが見つかりませんでした。あれは、必要な人にしか見えないのかもしれません。 そして最近、Aからリフォームの終了とお茶のお誘いが来ているのですが、私は彼女達とこのまま関わっていけるのかを今日も悩んでいるのです。
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。