走り出した呪いは止まらない
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僕はとても憎い相手がいて、どうしても恨みを晴らしたくて仕方が無かった。 ただ。憎い相手に物理的に復讐する事はどうしても怖くなった。 僕は学校でいじめられていた。 その為に不登校になってしまった。 不登校のまま卒業式になり、いじめっ子達は大学生になっている筈だ。僕は何とかして大検を取って、ひきこもり状態から抜け出したかったが、どうしてもいじめられた記憶を思い出して、一歩、踏み出せずにいた。
今年、僕は19歳になるだろうか……。 いじめっ子達は何名もいる。 彼らに復讐をしなければ、僕の新しい人生は始まらない。 そんな思いで、僕が行き着いたものは『呪い代行』という復讐方法だった。 それは、インターネットで復讐、という単語を検索していて行き着いたものだ。 大きな藁人形の背景に“復讐承ります”という単語が記されていた。 藁人形か……、洒落じゃないけど、それこそ、僕は藁にも縋る思いで、復讐の事ばかりを毎日、考えていたのだ。僕の人生をメチャクチャに破壊してしまった連中が憎い。そればかりを考えて、今日まで生きてきた。 いじめっ子達と何とか決着を付けてからが、自分の人生が本当に始まる……。
もし、呪いでも何でもいいから、彼らに復讐する事が出来たのなら、それに縋るしかない。 気が付けば、僕はメールを送っていた。 数時間くらいしてメールが返ってきた。 ‐呪い、引き受けます。‐ 指定された口座に呪いたい相手一人に付き、五万円を振り込むように書かれていた。僕をいじめていた人間は全員で十数名もいる。クラスの連中だけでなく、他のクラスの人間、他校の人間も含まれていた。 全員を呪うには金額が足りない。 主犯格は四名だ。 数少ない貯金から二十万円を降ろす事にした。 そして。呪い代行業者が指定してきた口座に二十万円を振り込んだ。 振り込み終わった後、僕は銀行のATMの近くの席で、茫然自失としながら天井を眺めていた。
ふと、僕はネットの業者に騙されたんじゃないかと考え始めた。 そもそも、呪いなんて本当にあるのだろうか。サイトの雰囲気も、今、考えてみると、何処か怪しい。サイトの評判自体をあらかじめネットで検索するべきだったんじゃないのだろうか?詐欺の一種じゃないだろうか? そんなネガティブな感情に襲われながらも、僕は銀行を後にした。 通り掛かる人が、じろじろとこちらを見ている。 不登校、ひきこもりになって二年くらいが経過する。 僕は完全に対人恐怖症を患ってしまっていた……。
家に帰ると、スマホに連絡があった。 どうやら、メールが送られてきたらしい。
‐振り込みを確認しました。呪いたい相手の写真。無ければ、氏名など、出来る限りの情報をデータで添付して送ってきてください。‐
僕はそのメールを見ると、押し入れを開ける。 体育祭の時に、クラス全員で取った記念写真がある筈だ。 僕は注意深く、他のクラスメイトが映らないように、呪いたい四名の顔写真を一枚一枚撮影していって、それを呪い代行業者へと送り付けた。 それから、一時間後の事だった。
‐ありがとう御座います。この四名ですね。さっそく、本日から呪いを行います。‐
そうメールが返ってきた。 時刻は夕方の18時に差し掛かっていた。 不登校の負い目で、親とはあまり顔を合わせたくない。 僕は台所に行くと、冷蔵庫から冷凍食品をレンジで温めて、それを口にする。 毎日のように、いじめのトラウマが蘇ってくる…………。 恨みを晴らす事によって、僕は救われるのだろうか……? 僕は味のしない温めたカレーピラフを食べ終えると、歯を磨いて、そのまま二階の自室へと戻った。 そしてTVゲームの電源を点けて、ゲームにひたすら熱中する。 ゲームをしている時だけは、現実も、過去のトラウマも忘れる事が出来る……。ただ、学校が舞台の作品はダメだった……トラウマが蘇る……。美少女が多いゲームなら別だが、生々しい青春ものなど本当にダメだった。
しばらくして、僕は一通りゲームに飽きて、寝る事にした。 頭の中でもやもやとした感情が渦巻いていたが、すぐに僕はゲームを長時間やり続けた疲れで眠りに付く事が出来た。 その日は悪夢を見なかった。 翌日の事だった。 僕の処にメールが送られてきた。 呪い代行業者からだった。
‐まず、四名のうちの一人を呪いました。いずれ結果は分かるでしょう。楽しみにお待ちしてください。一週間以内には必ず効果が現れるでしょう。‐
僕はそのメールを見て、なんだか釈然としないながらも、期待のようなものが溢れてきた。 呪い代行業者にお金を送ってから、四日後の事だった。 母からこんな事を聞かされた。
「お前の同級生でさ。Dっていたじゃない?彼、なんでも若くて癌になってしまったらしいわよ。末期癌の可能性もあるんですって」
そんな事を言われた。 Dは僕をいじめていた人間の主犯格の一人だった。 それが、末期癌…………。 僕は母から、そんな話を聞かされた時、耳を疑った。 それからしばらくして、五日間が経過した。
今度はCが交通事故にあったという話だった。 重体だったそうだ。 なんでも、Cは、バイクで危険運転をして、トラックに突っ込んでしまったらしい。 今も生死の境を彷徨っていると聞かされた。 僕は信じられない気持ちでいっぱいだった。
僕はその日の夜、ベッドの中で天井を見ながら考え事をしていた。 復讐の事を考えるまで、僕は自殺サイトを頻繁に覗いたり、同級生に知られないように、SNSで頻繁に自殺願望を吐露していた。自分は価値の無い人間で、価値が無いからいじめられるんだと考えていた。実際、いじめグループ達は僕の事をお前は価値の無い人間なんだと散々、罵倒していた。 僕は胸のもやが晴れるような気持ちで満たされ始めていた。 これで二人。 僕はなんだか、死神になったような気分になった。 同時に、どうしようもない恐ろしさのようなものに襲われた。 スマホを見ると、メールが届いていた。
‐いかがですか?ようやく、二人目の呪いが成就されましたね。後、二人ですね。二週間以内には必ずや二人共、呪って差し上げましょう。‐
僕はそのメールを見て考える。 特に一番、憎いのは、主犯格のグループのリーダーを務めていたAだった。 Aは、CやDと比べものにならないくらいに、酷い目にあって欲しい。そんな感情が渦巻いていた。
そもそも、たまたま、Aに眼を付けられる事になってから、僕は酷いイジメを受ける事になり、クラスの連中や、他のクラスの奴らまで僕をイジメても構わない、といった感じになっていったからだ。 ただ……。 人を呪わば、穴二つ……。 そんな言葉が僕の頭の中によぎり始めていた。 本当に自分は大丈夫なのだろうか……? 恐怖心が心の中で渦巻いてくる。 Aには一番の報いを受けて欲しい……。 けれども、同時に、自分にも呪いが返ってくるんじゃないのか?そんな疑念に襲われる。 僕は呪い代行業者にその事に関してのメールを送った。 一時間くらい経過してから、メールは返ってきた。
‐大丈夫です。貴方様には呪いは返ってきません。安心して、お待ちくださいませ。‐
僕は息を飲んだ。 そして、再び自室へと戻る。 相変わらず、頭の中でいじめられた記憶が渦巻いていた。 クラス中の笑いものにされる僕……。いじめグループに屈辱的な写真を撮られて、校内中にバラまかれる。チェーン・メールのように、僕の屈辱的な写真が拡散されていく……。ネットのSNSにも投稿された……。生きた虫を食わされたり、スタンガンのようなものを身体に押し当てられた事もある……。 虫などの異物を食べさせられたせいで、不登校になって最初の一年くらいは、食事を取るのも苦痛だった……。 お風呂に入る際に鏡を見ると、今も、僕はいじめられた傷痕が身体に残されている……。その傷痕を見て、僕はフラッシュバックを起こす。 二年経過した今、ようやく理解する。 僕のやられた事は、いじめという言葉では済まされない……犯罪紛いの事なのだと……。
僕は何度も、悔しくて無いて、自殺サイトを漁っていた。 昔は自殺サイトは色々な処にあったらしいが、集団自殺や、犯罪の温床になってしまった為に、今では片っ端から削除させられたらしい。それでも、僕は数少ない自殺サイトと呼ばれている場所や、自殺願望を持っている様々な人間とネット中で交流して、少しずつ、心を回復させようと頑張った…………。それでも、二年経った今でも、いじめのトラウマは消えない……。 ずっと、自分が消えるのが一番、良いのではないかとばかり考えていた……。 ……………………。
四日後の事だった。 親からの聞かされた話だが、工事現場でバイトをしていたBの両脚に、鉄骨が落下したらしい。……Bは生涯、自分の足で歩く事は絶望的だろう、そう聞かされた……。 Bの事件があってから、二日後、親を通して僕に電話したい人物がいると聞かされた。 僕は親に言われて、何気なく受話器を取ってみる。 相手はAだった。
「おい。Dが癌になった。Cが交通事故にあった。Bも重症だっ!この短期間でっ!なあ、お前じゃないのか!?お前が俺達に何かしているんじゃないのか!?」
Aの声を聞いて、僕は震え上がっていた。 まるで、パブロフの犬のように、Aに言われると、僕は言いなりになるしかなかった。Aの口調を聞くと、かなり焦っているみたいだった。次は自分が標的……それに気付いているのだろう。
「う、うん。僕が呪ったよ……」 言ってしまって、僕は思わず、そんな事を口走ってしまった。
「おい。やっぱり、お前か。おんどれ、××公園に来いや。今すぐ来い、待っているからな」そう言って、Aは電話を切る。
このまま、放っておいても、Aは呪われて、僕に何も出来なくなる筈だ。けれども、長年のいじめ経験から、僕は夢遊病のように、外に出ていった。時刻は夜の八時過ぎ。11月の暮れだ。僕は厚着をして外に出る。ふらふら、と、××公園へと向かっていた。 ××公園に着いたのは、九時を過ぎていた。 Aが公園のベンチに座って、煙草をふかしながら、僕を見ていた。
「おい。お前、ちょっと、そこに正座しろ」 僕はAに言われるがまま、冷たい地面に正座させられた。
「なあ。お前がやったんだろ?どんな方法を使ったか知らないが、お前がやったんだろ?」
Aは必死の形相をして、いきなり僕の胸倉をつかみ始めた。 せめてもの抵抗で、僕は首を横に振った。 Aは容赦なく、僕を殴り、蹴り飛ばした。 それから意識が朦朧とし始めて、僕は呪い代行業者に依頼した事を、Aに白状してしまった。
「おい。今から、メールで、呪いはキャンセルします、と打てよ」
僕は言われるまま、まるで洗脳を受けたように、Aへの呪いをキャンセルする、と、メールを打たされていた。
「これでいい。これで俺は助かるんだな」
Aはもう一度、僕を殴り付けた。
「おい。お前、迷惑料として、まず十万円降ろしてこい。今すぐにだ」
僕はAに言われるまま、コンビニのATMへと向かわされた。 ……もちろん、十万円なんて大金、僕の口座には入っていなかった……。 十万円の言い訳をどうしようか考えていると、メールが来た。
‐ただいま、呪いが成就しました。申し訳ありませんが、キャンセルは出来ません。‐
そんな文面だった。 いきなりの事だった。 絶叫を上げて、Aは身体を掻き毟っていた。 かゆい、かゆい、身体がかゆい、と、Aはのたうち回っていた。そして、僕に救急車を呼ぶように言われた。僕は救急車に電話する。
十分後、救急車は公園の前に着た。 その頃になると、Aは血が出る程、顔や腕などの皮膚を掻き毟っていた。Aはそのまま、救急車で病院に搬送された。 僕は、呆然としながら、その光景を眺めていた。 翌日、僕はふらりと、D、C、Bが入院している病院へと向かった。 全員、別々の病院に入院していたので、朝に向かって、帰ってくるのは夕方近くになっていた。 Dはベッドの上で僕を眺めて、喚いた。
「俺を笑いに来たのかよ?さっさと帰れよっ!」
Dは明らかに死の恐怖でおかしくなっていた。 これから抗がん剤を打つ事になるらしい。本当に死の間際になったら、もう一度、面会に来ようと僕は漠然と思った。 Cの方は面会する事が出来なかった。 今も意識が戻らず、植物状態になる可能性が高いらしい。Cの家族はバイク事故の際に、衝突したトラック運転手と民事裁判を起こそうとしているらしかったが、状況的に、一方的にぶつかったのはCの方なので、裁判に勝つ事は難しいのではないかと、聞かされた。
Bに会いに行った。 Bはまるで廃人のようだった。 僕の顔を見ても、一瞥するだけだった。 彼の両膝から下は無くなっていた。 僕が帰り際に、「いじめて悪かったな」と、Bは言った…………。 一週間後、僕は、Aにも会いに行った。 Aは全身、包帯グルグル巻きだった。 なんでも、スティーブンス・ジョンソン症候群と言うらしい。 薬剤アレルギーの一種で、摂取した薬に身体の免疫機能が過剰反応を起こす病気なのだそうだ。全身に激しいかゆみが走り、発疹や水膨れだらけになって死んでいくのだという。 Aは重度だそうで、身体の五割以上に症状が進行しており、ここまで来ると、致死率が25パーセントを超えるそうだ。治療法もないらしい。仮に治癒出来たとしても、後遺症が残るらしい。 病室の中で、包帯だらけで喚き続けるAを見ながら、僕は彼を見下ろしていた。
Aは僕の姿を見て喚き続けていたが、よく聞き取れなかった。 Aは尿瓶を取って、僕に投げ付けようとする。 けれども、Aは投げる体勢になった時に身体に痛みとかゆみが襲ったのか、尿瓶を取り落として、自身の顔や上半身に自分の小便をぶちまけていた。 僕はその様子を見ると、病室を出た。 Aはもう長くないのだろうな、と、僕は直感で理解した。 その日の空は酷く澄んでいた。 僕は、大検取得に向けて練習しよう。そう決めた。 その日の夜、僕はいじめの夢でうなされる事は無くなった。
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。